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というものはない。「もしもピアノが弾けたなら」という歌があるが、本当にもしもピアノが弾けたらどれだけ良いだろうか。その時その時の気持ちを全て音楽で表現できるのではないだろうか。
もっともピアノが弾けることと音楽で何かを表現することとは別のことだから、これは無理かもしれない。
「もしも」で言うなら、バイオリンもひいてみたいし、フルートも吹いてみたい。ギターも良いかもしれない。
コムンゴやテーグムも演奏できたらどれだけ素晴らしいだろうか・・・
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最近「日交差」という言葉をよく耳にする。最近の天候に多い現象だから当然かもしれない。
朝マイナス5度、昼プラス14度という風に、その日のうちの最高気温と最低気温の差のことを言う言葉だ。
韓国の天気予報ではほぼ毎日必ず耳にするが、日本の天気予報ではあまり耳にしない言葉だ。
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多分中学生のころだった思うが、アメリカのホームドラマで「パパは何でも知っている」という番組があった。そのドラマに出てくる全てにあこがれていた。家電製品、自動車、その他何から何まで。
また、「ローハイド」という牛の群れを放牧しながらアメリカ内を移動するドラマもあった。ドラマに出てくる豆と肉の煮込み料理、コーヒー豆を砕いてやかんで淹れるコーヒーなどにあこがれ、主題歌にも夢中になったものだ。
また、妻殺しの嫌疑をかけられ逃亡し続ける医師を主人公にしたドラマ「逃亡者」も懐かしい。
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お題「もう一度行きたい場所」は、 韓国慶尚南道安東郡河回村の陶山書院前の桃林。浮
石寺から道を間違えて桃林を登って陶山書院に行くハメに陥ったが、一面に咲くあでやかな桃の花の美しかったこと。正に桃源郷だった。 小山の上から陶山書院を見物して、帰ろうと停留所でバスを待っていると、通りがかりの人が、「もう最終便は出た後ですよ。明日までバスはありません。」と親切に教えてくれた。まだ午後4時にもなってないのに・・・
仕方なく夕陽を浴びながら駅まで1里ほどの砂利道をとぼとぼと歩いた。手の甲には太陽疹まで出た。
それでもあの一面の桃の花は、ぜひ、もう一度見たい。