お題「健康」

 風邪をひいて少し頭が痛くなっただけでもつらくて、健康がどんなに大事かと思うのに、普段は健康がどれほど貴重で有り難いかを忘れて過ごしている。

 最近はごくごく簡単な運動をして、健康を維持するように努力している。

 しかし、健康を維持するために大事なことは、おそらく欲望のコントロールだろう。

食べ過ぎない、飲みすぎない、働きすぎない、寝すぎないよう節制した行動・無理のない生活習慣を保つことで、健康は保つことができるのではないだろうか。

お題「おばあちゃんの思い出」

 ソウルに住んでいた時、夏休みを利用して釜山の従兄の家に遊びに行った。

すると亡くなった父にそっくりな老女が迎えてくれた。

 父方のお婆ちゃんだと思って接していたが、従兄に確認すると何とコモだと言う。

つまり父の姉だったのだ。何くれと無く世話を焼いてくれたが、布の小袋からおカネを出して、小遣いをくれたりした。女性なのにあんなに父に似ているなんて・・・・。

お題「ひとりの時間の過ごし方」

 ひとりでいる時は、特に何かをするでもなく、何かを考えるでもなく、ひたすらぼーっとしてすごす。

 時には本を読むこともあり、外国語を学習することもある。

 またKBS  WORLD RADIO放送のK-POPや24時間ニュースを聞くこともある。

しかし、結局はまたひたすらぼーっとしてすごす。

お題「我が家のカレー」

お題「梅」

 不思議なお題だ。一体ぜんたい梅について何が書けるだろうか?

子供の頃梅の木に登って遊んだ。しかし梅の木には見るからに毒々しい毛虫がいて、刺されるとひどく痛かった。おまけに木には棘もあって、うっかりすると手や体のあちこちを刺されたり引っ掻かれることもあり、木登りに適した木ではなかった。

 梅の実は完熟すると杏ほどではないが、それなりに食べられるものだった。

梅漬け、梅干し、ジャムなど食べ方もいろいろある。

 近年、子供の頃育った村の田や畑が耕作放棄され、一面梅林になったと聞くが、一体梅の実にそんなに需要があるのだろうか?こまめに手入れしなければ病害虫にすぐやられそうな気がするし、収穫時期には人手が足りなさそうだし、それでも畑作よりは手がかからないのだろうか。

お題「鍋といえば」

 鍋と言えば、迷うことなく「てっちり」でしょうね。あまり食べる機会はないが、たまに大阪へ行くと、友人が会うや否や「今日は何を食う?」と尋ねる。いつものように「何でもいいよ」と答えると、「自分が食べるものを何でもいいというやつがあるか」とよく怒られた。そして「天下茶屋?」(多分)へ連れて行かれ、ひれ酒で喉をうるおし、てっさから、皮、てっちりと行き、最後に食べるおじやが最高においしかった。

 しかし、チゲなべもうまい。東京オリンピックの終わった頃、新宿駅西口にあった明月館のチゲなべは最高だった。あまりの辛さに、頭をボリボリかき、お絞りで汗を拭きながら食べたチゲの味は、今でも忘れられない。

 年配のご主人がときどき注文していない小物を出してくれて、「注文してませんが」と言うと、「気の利かない困った奴め」と言うような表情で、「私のサービスです」低い声でぼそっと言って行ったりした。

お題「好きなビール」

 元来酒好きではないので、思いつくものはない。ただ、スーパーなどでビールが並んでいたら、地元産のサッポロクラッシックを手にする。

 ビールで思い出すのは、高校生の頃知り合いの年長者にスキーに連れていってもらい、つい調子に乗って飲んだ小瓶に入った黒ビールだ。あれは、乾燥したスキー場の空気のせいか、やたらうまかった。

 真夏に大通公園で仲間と生ビールのジョッキを傾けていると、夕立ちに会い、大木の下に移動して飲んだこともある。

 そういえば韓国では爆弾酒と言ってビールの入ったジョッキに小さいグラスになみなみと注いだ焼酎をグラスごと落として、一度振ってビールと焼酎を混ぜ合わせて一気に飲み干し、空になったジョッキを飲み干したことの証明に頭上で逆さまにして見せるという習慣がある。

お題「誰にも信じてもらえない体験」

 事実誰にも信じてもらえないという訳ではないが、おそらくそうだろうと思って誰にも話したことのない体験だ。

 実は9歳まで四国の山深い田舎で育った。自分の生まれ育った家は山の傾斜地を削って出来た少しばかりの平面を石垣で支えている敷地に建っていた。幼児の頃その石垣に沿って干していた布団の上で寝ていて、しばしば転がり落ちたものだった。

 下の畑地にはトウモロコシや高粱が植えてあり、その収穫後は斜めに鋭く切った切っ先がまっすぐ上を向いていた。また石垣には木イチゴがなっていたものだった。

 その家から一本の坂道をしばらく登ると、黒沢という池があり、そこでよく泥鰌を釣ったものだ。

 さて、そこから別の集落に行くために左に折れる細道を行かなければならないのだが、その道の入口には地蔵があり、地蔵の横の斜面に、姿を見た者は誰もいないのだが不思議な生き物がいた。

 その生き物は坂の上から下に転げ落ちる音がするだけで、確認しようと近くで耳をすませるとピタッと動きが(音が)止まるのであった。いくら目を凝らして藪の中を見詰めても何も見出すことは出来なかった。

 今思うと、あれは不思議でちょっと不気味だ。